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綿密な事業計画を立てて起業する人と、まず起業して動きながら事業展開を考える人がいる。小森谷氏は後者だ。「確かにそうですね。僕は自分でまず言葉にしたり行動してみてから考え始めるタイプ。それでいったん決めたら周囲が何といおうと突進あるのみ」と本人も苦笑いを浮かべる。 |
中学時代に格好のエピソードがある。陸上部の中距離ランナーとバスケット部をかけもちしていた彼は、校内マラソン大会で優勝した。中学2年のときだ。だが同じ陸上部の長距離陣が駅伝大会出場のため不参加だったからだといわれてカチンときた。それから1年間、彼は毎朝10キロを走り、長距離陣も寄せ付けずにマラソン大会で翌年も優勝する。
周囲の「やめとけ」の声に逆にファイトを燃やした結果だった。 |
高校卒業後、ディスコなどの清掃を手がける清掃会社に入社。
22歳で新設のリフォーム事業部に異動になり、夜間の専門学校に通ってリフォームの勉強に励んだが、営業成績は頭打ちだった。当時は大規模新築マンションの建設ラッシュだったことも背景にある。 |
ある日、某大手建設会社のリフォーム部に行くと、小森谷氏に「ついてこい」と初対面の担当部長。
副社長の自宅に連れて行かれ、窓サッシとキッチン周辺の改修工事を指示された。
「この仕事に成功すれば大会社だから必ず仕事がくるぞと思って、1カ月間その現場に通いました。上司には『毎日同じ現場行ってどうするんだ!』と怒られましたが、職人さんの仕事を見て勉強することも多かったですね」 |
彼の直感は当たり、その大手からの発注が始まり、その信用からさらに仕事が広がり始めた。気がつくと彼の営業成績は28歳で年商5億円、本人の年収も1500万円に。あの一件以来、一期一会が彼の座右の銘となった。 |
「僕は常に現場に足を運んで、惜しみなくお客さんや職人さんとの関係をつくってきた。だからすべての情報は現場にあるって社員にはよく言うんです」94年10月に退職。29歳でリフォーム会社を起業したときも周囲は反対したが、迷いはなかった。地道に今までの顧客を回り続け、独立1年目から軌道に乗った。昨年度の売り上げ約6億円。
社員16名で、潤沢なキャッシュフローを確保し無借金経営を基本としている。 |
今年9月から、クリーニングチェーン店の「喜久屋」と建物や洋服のリフォームからクリーニング、生活全般のお手伝いサービスを実験的にスタート。また、賃借物件の解約精算処理の代行サービスもスタートしてる。「これから求められるのは、会社規模や売り上げの大小じゃなくて、いかに世間に必要とされるかだと思うんです。
両方まだ実験的な試みですが、うまくいけば拡大していくつもりです」リフォーム業から生活全般お役立ち業へ、構想をふくらませる小森谷氏の名刺を見ると、「一期一会いつでもお電話!!」と大きく書かれてあった。 |
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